ボツ原稿

当法人のブログをご覧いただき有難うございます。私は現在司法書士会の会長をしておりますが、年に4回会報が発行される際に挨拶文を寄稿しております。
直近の会報に掲載しようと作成した文書が、あまりにも司法書士会と関係なかったのでボツにしたのですが、そのままお蔵入りも考えた時間がもったいないので自分のブログにアップしたいと思います。
 私見でありますが、振り返ると1980年代ころから、目指すは小さな政府(緊縮財政)、グローバル化が善であり、人・物・金が国境を越えて自由に移動することが究極のグローバリズムであり、民間ができることは民間に任せて国家の役割は減らしてくのが国家のあるべき姿であるという世界的な流れで40年以上が経ちましたが、結果はどうだったでしょう?
国家は、グローバル企業や大企業を優遇するため法人税を引き下げ、一方で一般の国民からは収入の多寡に関係なく同率で税金を徴収する消費税の導入、そしてその税率の引き上げをしてきました。
 ヨーロッパでは大量の移民を受け入れた結果、治安が悪化し労働者の賃金が低下し貧富の格差が拡大しているところ、「移民」という表現はわが国では使いませんが、我が国では今さら外国人労働者の受け入れを推進する。
 本来、内需によって発展できる可能性のあるわが国が、バブル経済崩壊後の緊縮財政によって、政府は公共投資を減らし、その結果、長引くデフレとなり、その間内需は縮小し、国民はどんどん貧乏になりました。そして内需がないなら外需だということで、インバウンドという掛け声のもと外国人観光客を大量に受け入れる。これはなにを意味するのでしょうか?
バブル経済の時代、日本人は海外の方がブランド品が安いと云って海外旅行で爆買いをしていましたが、今の日本では逆のことが起きております。 外国人にとって日本は割安で旅行に来やすいということは、日本の物価が外国に比べて安い、日本だけが緊縮財政により経済成長が鈍化し、気が付くと海外旅行する側からされる側になり、国民は貧乏になってきているということを意味しています。
 グローバル化により、富める者はより豊かに、貧しいものはより貧しくなりました。
それでも島国日本人は、英語が不得手なコンプレックスもあってか、グローバル化が正しいことと思い、一向に豊かにならない状況に我慢してきました。
しかし、ここにきてグローバル化が必ずしも善ではないという出来事が起きました。
新型コロナウィルスの世界的パンデミック(大流行)です。
グローバリズムのもと外需を当てにしすぎた結果、日本人が生命の危険にさらされる結果となったのです。
 この国難をきっかけに、グローバル化、緊縮財政、規制緩和など、これまで多くの国民が善あると思ってきた政府の政策を見直す時期にきているのではないでしょうか?